【神子田朝市の歴史】

盛岡の食を支える朝市は、明治時代初期にまで遡る長い歴史を持っています。

盛岡市が市制を施行する1889年より前から、現在の南大通二丁目にあたる惣門のあたりでは、朝市が盛んに開かれ、盛岡市民の生活に欠かせない存在として賑わいを見せていました。

【転換期と新たな出発】

しかし、その歴史の中で大きな転換期が訪れます。1968年、旧都南村(現在の盛岡市)津志田に盛岡市中央卸売市場が開設されたのです。これにより、南大通りや盛岡市中央青果の周辺で営業していた生産農家の直売所は、立ち退きを余儀なくされました。
生産者から直接農作物を購入できる場所が失われることに、生産者も市民も困惑しました。そこで同年11月、同じ南大通りで「盛岡地区生産者立売組合」が発足、新たな「朝市」を始めることになります。

【「立売り」に込められた生産者の思い】

組合名にある「立売り」には、生産者たちの熱い思いが込められています。彼らは、丹精込めて育てた農作物をリアカーに乗せ、その傍らに自ら立って販売するという形で、消費者との直接的なつながりを大切にしました。この朝市はたちまち大盛況となり、多くの市民に愛されました。

【さらなる発展、現在の場所へ】

その盛況ゆえに、来場者の増加とともに規模の拡大と駐車場の確保が課題となりました。

より多くの人々が訪れることができる場所への移転が求められ、様々な場所が検討された結果、現在の神子田への移転が決定。1977年より、現在の地で営業を開始し、「神子田朝市」として地域の人々に親しまれてきました。

そして2024年には、長年親しまれてきた「盛岡地区生産者立売組合」から、正式に「盛岡神子田朝市」へと名称が変更されました。これは、地域に根ざし、市民の「台所」としてこれからも発展していくという朝市の強い意思表示と言えるでしょう。
これからも神子田朝市は、盛岡の食文化を支え、活気ある朝の風景を作り続けていきます。